徳川家康(6)

十四歳になった竹千代は元服して次郎三郎元信と名のり、翌年義元の姪鶴姫と結婚。
母親代りの祖母華陽院に続いて、生涯の師雪斎禅師が世を去る。
猿に似た風来坊、人呼んで針売りの猿、後の秀吉が朝市で信長と出会い仕官。
斎藤道三は息子義龍に寝首を掻かれ、信長は清洲に居を移して尾張を統一、いま旭日昇天の勢いにある。
群雄すべて京を目指す時、義元は上洛を前にして元信に十年振りの岡崎帰国を許す。
名を元康と改める。
総力を結集して上洛の行動を開始した今川義元は、信長の奇襲戦法に遭い、あえなく田楽狭間の露と消える。
元康は十四年の人質生活から解放されて、名実共に岡崎城の主となる。
永禄五年、元康は清洲に信長を訪ねて和睦し旧交を温め、名前も元康改め家康とする。
ようやく岡崎に帰ることを許された瀬名姫は、築山殿と呼ばれているが、長男信康と信長の娘徳姫との婚約話が密かに進められている。
ここは彼女にとって安住の地ではなかった。
岡崎に帰って来た瀬名姫(築山御前)と家康の間には、不安と怨恨の深い亀裂が、日毎に大きくなっていったが、家康は領国支配に万全の手を打ってきてた。
ところが家康を驚愕させる事件が足もとから起こった。
三河の一向一揆である。
「法敵家康を倒せ!」と徒党を組んだ一揆の群れは、蓆旗をかかげ怒号叫喚して、三河一円に火の手をあげた。
団結を誇っていた岡崎衆がここで真二つに分かれた。
家康にとって初めての試練を迎える……。
天下統一をめざす信長の求めに応じて姉川に出陣して善戦。
さらに根城を岡崎から浜松に移して東国経営にあたる家康にとって、三方ヶ原の合戦は、その生涯の最大ピンチ。
上洛戦の火蓋を切った甲斐の猛虎武田信玄を迎え討つ若き家康――その乾坤一擲の大決戦を前に、正室築山殿と寵臣大賀弥四郎の思いがけない大陰謀が進められている。
家康の運命もここにきわまるかに見えた一瞬、信玄倒れるの噂が流れる……。
信玄陣没の情報を得た家康は、武田勝頼の機先を制して、長篠城を手中に収める。
朝倉 浅井両氏の滅亡は信長の覇業を確定的なものにした。
内部の裏切りと打続く敗報にいら立つ勝頼。
事の多かった天正元年も過ぎて、武田勢と徳川勢は緊迫したまま天正二年を迎える。
雌雄を決する高天神城の攻防をめぐる徳川 織田 武田の駆引きと肚の探り合いに明け暮れる中に、岡崎城中にはただならぬ妖雲が漂い、さしもの大賀弥四郎の大陰謀もついに露見……。
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